少量の湯に蒸され、豆の粒がじわりと開く。少し、淫らに感じる。
「美味しい珈琲を淹れられるようになりな。魔術はそこから始まるのさ」
師匠の言葉を思い出す。師匠は天現寺あたりを寝ぐらにする魔女だった。
そんなことを言う割りには、彼女の珈琲は旨くなかった。
狸を溶かし込むのが天現寺流だというが、あのぼやっと野暮ったい風味には閉口したものだ。
あれから幾星霜。
いっぱしの魔術師になった私は、魔術の技量はともかく、珈琲の淹れ方では師匠を凌駕した自負がある。
狸みたいに野暮じゃない。黒豹を触媒とするのが、私のオリジナルだ。
ビロードみたいに錬られた黒豹珈琲には、何より速度がある。
一口含めば、その薫香は瞬く間に鼻腔を駆け抜け、眉額を突き破って世界に飛び出していく。
風通しがよくなった脳髄では、
「Hello, world」
この世界を寿ぐ呪文が紡がれる。
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珈琲の超短編 タカスギシンタロ賞受賞