森星霜
2021年1月24日日曜日
水銀信仰/五十嵐彪太
世界から水銀が枯渇し始めるにしたがって、人々は水銀を拝み始めた。
拝んでも拝んでも水銀は減り続けた。水銀への信仰はこれまでの宗教にはない盛り上がりを見せた。
さらに水銀が減ると、今度は信者も減った。諦観か、単なる諦めか。
かつては辰砂で塗られていたという伝説の祠に、少数の熱狂的信者が集まる。
崇め奉るのは、この世にただ一本だけ残る水銀体温計である。
水銀信仰/立花腑楽
神は腐らないし燃えない。酸にも溶けない。
だから廃棄には難儀する。
地中に埋めると土壌を汚染するし、海洋投棄など以ての外だ。国際社会から袋叩きに合う。
「実は水銀にだけは溶けるのですよ。我が国ではずっと昔からそうやって処理しているのです」
とある婆羅門が、本邦の政府高官にこっそり耳打ちをする。
廃神と水銀のアマルガム。
おかげで少しは嵩張らなくなったが、何せ神々は八百万もおわすのだ。根本解決にはなっていない。
喧々諤々の議論の結果、陸でも海でもない場所に遺棄されることとなった。
神々を溶かし込んだ水銀カプセルが、衛星軌道をぐるぐる回る。
教義を忘れ、神々の名も忘れ、それでもちりちりと身を焦がす信仰心から、人々は今夜も夜空に祈りを捧げる。
2021年1月13日水曜日
蛸/五十嵐彪太
難を逃れた蛸は洞窟の奥に作られた研究室で一人、研究を続けていた。
休むための水槽に入れる海水は、人間が時々持ってきてくれるが、言葉を交わすことは一切なかったので、何らかの情報を得ることはできなかった。
食料については、蛸自ら断った。空腹のほうが研究が捗るような気がしていたのだ。
最近、実験装置やコンピューターを操るのに不自由している。タイピングも以前より遅くなった。
蛸は長考中に足先を噛む癖があった。人間にも爪や指を噛む癖のある者がある。似たようなものだが、ずっと何も食べていない蛸は意識しないまま足を食っていたのだ。
器用な八本の足が少しずつ短くなり、本数が減る。だが、そこからが研究の本番だと海水を運んでいる若い人間は知っている。
蛸/立花腑楽
これが最後の一本となってしまいました。
私のこの想い、汲んでいただけましょうか。
蛸壺より愛を込めて。
また、蛸から恋文が届いた。
今回も立派な蛸足が一本添えられている。花魁が意中の相手に小指を送るようなものか。肉厚でぷりぷりしていて、相変わらず美味そうである。
それにしても、足をすっかり無くした蛸の頭だけが、みっちり蛸壺に収まっている様を想像すると、何だか哀れである。
どれ、これまでの手紙も読み返してみようかと文箱をひっくり返す。
これが、今回のも合わせると何と九通もあったのだ。
これは困った。ミステリーだ。
困ったなりに、私は最低限の礼儀として「大変に美味しゅうございました」とだけ返書をしたためる。
新しい投稿
前の投稿
ホーム
登録:
投稿 (Atom)