2021年2月7日日曜日

手袋を売りに/五十嵐彪太

 秀でたところが一切なかった私がこれまで食べてこられたのは、特異な手のおかげだ。
 皮の厚くなった手をずるりと剥くと、質のよい手袋の素材となる。カシミヤより光沢があり、暖かく、軽く、撥水性も高く、長持ち。文字通り一生ものだ。
 手の皮が剥けるのは年に10回くらいだろうか。この頃はもっと少ないけれど。
 冬になると、街中でかつて自分の手だった手袋に出会う。歳を取り、以前より出会うことが増えた。何しろ一生ものだ、街には私の手だった手袋が少しずつ増えていく。必ず手を振ってくれるから、すぐにわかる。持ち主は、無意識にぶんぶん手を振ってしまって、キョトンとしている。あれは、27歳の秋に剥いた皮だ。とても高く売れた皮のひとつ。鞄の中で眠っている手の皮に心で話し掛ける。
「あの子みたいな、よい手袋になるんだよ」
 この皮で、売るのは最後にする。
 

手袋を売りに/立花腑楽

 左手は不浄の手だ。
 故に、左手袋にはたっぷりと業が染み込んでいる。
 そしてこれがまた、実にいい出汁が出るのだ。
 例えば、場末の立ち飲み屋。
 ああいう店の煮込みなど、その鍋底にはぐずぐずに煮込まれた左手袋が入ってないとどうしようもない。
 細胞の隙間にぎっしり疲労を詰めた労務者が、肋骨と胃袋以外は身ぐるみ剥がされた博打狂いが、小さい肉体の内側で魂をヤスリにかけている浮浪児が、その滋味を糧とするのだ。寒さで鼻の頭を真っ赤にして、その鼻を湯気に突っ込みながら貪るのだ。
 俺は右手袋の味はよく知らないが、右手袋の味が好きな連中とは仲良くなれない気がする。
 俺は今日も這いつくばりながら、道端に落ちてる左手袋を広い集め、馴染みの飲み屋に売りつける。
「よう、いつもありがとな。一杯飲んでってくれよ」
 そうして店主の親父に奢ってもらう煮込みと焼酎の味、それが実に堪らない。