2021年10月3日日曜日

ツノアリツノナシオニ/五十嵐彪太

「ツノがなくったって、俺は鬼だ!」
 と言い放って、若かった私は家を飛び出した。
 村ではツノのない鬼はかつて生まれたことはないという理由(後年、ツノのない仔鬼はどんな種族でも一定の割合で生まれると知った)で、私は村で除け者にされていた。家族からも疎まれていた。
 人間の町で暮らすことも考えたが、そこでも嫌われるだろうことが容易に想像できた。
 もう、除け者にされるのは御免だった。意地を張るのにも、隠れるのにも、開き直るのにも、疲れていた。
 放浪の途中で、気の合う友が出来た。初めての友人だ。ツノのある鬼だったが、ツノナシの自分を訝しむ様子はまるでなかった。
「故郷には、ツノアリオニもツノナシオニも、少ないけれどツノアリツノナシオニもいるよ。一緒に行こう」
 私は、友の故郷に根をおろすことにした。
 学問に熱心な地域で、私は大学に入り、以来ツノアリツノナシオニについて長年調べている。真性のツノナシオニだと思われた自分が、ツノアリツノナシオニだとわかったからだ。あの日、友に手を差し伸べられ、その手を握り返した時、頭皮が突き破れる感触を覚えた。二本の太いツノだった。

ツノアリツノナシオニ/立花腑楽

 出生時はなんの変哲も無い角だった。
 言葉を覚え始めたころから異常発達をはじめ、五つになるころには、すっかり異形に育ってしまった。
 誰がどう見ても、それは鬼の角ではなく、鹿の角であった。
 さほど珍しいことでもないらしい。鬼の因果と獣の因果は容易く混じり合う。
 しかし、獣角の鬼は、他の鬼から蔑まれる。
 不具の息子の行末を哀れんだ父は、悩みに悩んだ挙げ句、私の角にごりごりとヤスリをかけて、もっともらしい鬼の角をでっち上げてしまった。
 内には獣の因果を宿し、まがいものの角を生やした息子に、父は常々こう言った。
「いいか、実のところな、鬼も獣も人も、さしたる違いはないのだ。お前が自身を鬼と思うなら、お前は間違いなく鬼で、そして私の息子なのだ」
 しかし、父よ。父よ。何故なのだ。
 雄々しい角を持った牡鹿が森を闊歩する。その姿を見ると、私は泣きたくなるほどの後ろめたさと羞恥を感じるのだ。