2020年7月26日日曜日

彩雲の味/五十嵐彪太

 乳離れもまもなくだろうかという頃、我が子が雲を食べたがるようになった。この父ならばそのくらいのことはあるだろうと思った。
 夫は名前に龍の字が付く。夫の父や祖父の名も同じ字が付くが、さして珍しいことではない。持ち物にも龍のモチーフがやけに多いことには出会ってすぐに気が付いたが、それは本人が好んで買ったものではなく、「供物のようなものだ」と聞かされたのは、子が出来たとわかった時だった。
「僕より、早そうだ」と、夫は哀れな声で言った。「女の子は龍になりにくいはずなのに」と娘を抱いて泣いた。龍であることはそんなにつらく厳しいことなのか……。そして、夫と娘の深いつながりに、なんとなく嫉妬した。
「彩雲を、採りに行く。この子が初めて食べる雲は彩雲がいいと思う」
 夫は意を決したという顔をした。私も同じ顔で言った。
「わたしも、食べたい。わたしの分の彩雲も一緒に採れる?」
 驚いた顔の後、夫は言った。
「そうしよう、三人で彩雲を食べよう」
 今から帰ると夫から連絡があった。彩雲はたくさん採れたらしい。どんな味がするのか、楽しみだ。

彩雲の味/立花腑楽

 五色の雲には、捩れた蛇が織り込まれている。
 故に、舐めると神話の味がする。
 雨季のはじまり、乾季のおわり。
 巫女たちの舌が、天上を目指してひらひら踊る。

2020年7月19日日曜日

煮干し踊り/五十嵐彪太

 今年も盆踊りの季節がやってくる。町の商店から煮干しが品薄になり、やがてなくなると、否が応でも気分が高揚してくる。
 盆踊り当日。浴衣の袖に煮干しを入るだけ入れる。袖が重く、不格好になるが、この町では全員がこうするのだ。浴衣に煮干しの匂いが染みつくけれど、それは他所から見物に来た人もきっと一緒だろう。
 いよいよ盆踊りが始まった。真ん中では、巨大な寸胴鍋に火がかけられ、湯が滾っている。他の町では櫓が組まれその上で太鼓を叩いたり、音楽を流したりするそうだが、そんな光景はちょっと想像できない。
 ぐるぐる輪になって、踊る。音楽はない。合間に袖の煮干しを鍋に投げ入れる。まだ日の落ち切らない夏の夕方、湯気と熱気で、これ以上ないくら蒸し暑い。ごくりと唾を飲み込む。
 踊っては煮干しを投げ入れ、少しずつ袖が軽くなる。もう町の外れまで強烈な煮干しの出汁の香りが漂っているはずだ。我慢できなくなってきた年寄たちが鍋に吸い寄せられる。皆、真っ赤な顔をして鍋から煮干しの出汁を掬って飲む。年寄りたちが唄い出す。
 まだ飲まない。もっと煮詰まって、かき混ぜられ、どろどろになった煮干し汁になった頃に飲むのが、やり方だ。暑い。

煮干し踊り/立花腑楽

 脚は内股気味に閉じられ、腕は頭上に伸ばされていた。
  上半身は捻られたような格好のままで死後硬直している。いわゆる「煮干し踊り」と呼ばれる特徴的な死後所見である。
  以上により、死因はイノシン酸過剰摂取による中毒死であると推定された。
  事故死か、あるいは自殺か他殺か、その判断は検死解剖が終わってからになるだろう。
「先生、イノシン酸以外の旨味成分――例えばグルタミン酸による中毒死の場合も、何らかの特徴的な所見が見られるものなのでしょうか」
  勉強熱心な見習い監察医が質問してきた。
 「グルタミン酸だと、昆布踊りの様相を呈することが多い。例えばこんな格好だな」
  私は自ら昆布踊りの様相を演じてみせたのだが、いまいちリアクションが薄い。
「ちなみに、グアニル酸中毒に特徴的な干し椎茸踊りはこんな感じだ」
  これも、わかったのかわからないのか、微妙な反応である。
  あの手この手で説明しても上手く伝わらず、私はついに諦めた。
 「先生、今度のそれは何踊りですか」
 「これか、これはお手上げのポーズだよ」

2020年7月12日日曜日

液状化遺跡/五十嵐彪太

 昔、ちょっとだけ大きな地震があった。海沿い一帯で液状化現象が起き、さらさらと地面が流れてしまった。すると、埋まっていた昔々の町並みが浮き上がってきた。
 歴史学者は歓喜した。地質学者は頭を抱えた。歴史書の記述が変わり、遺跡をどう保存するかの議論が活発になった頃、またちょっと大きな地震が起きた。遺跡は液状化し、さらさらと流れていってしまった。
 保存運動をしていた人々は肩を落としたが、遺跡が流れた後には、さらに大昔の町並みが浮き上がってきた。
 地質学者によると大地震はしばらくないと予想されるが、気象学者によると遺跡一帯は雨期に入るそうだ。雨で遺跡が流れた場合、次の遺跡が浮き上がるかどうかは、今後の研究が待たれる。

液状化遺跡/立花腑楽

 空間軸でなく、時間軸でも振動は発生する。
 前者は地震で、後者は時震だ。
 時震が甚だしいと、ぼくらの歴史もいくぶん曖昧になる。
 砂に溶けていくみたいだ。記憶も、教科書の記述も、過去の遺物さえ。
 しかし、面白いことに、歴史とは再結晶化するものらしい。
 たぶん、この世の果てで、老賢者が何かをふっとを思い出したようなタイミングで。
 世界が油断している狭間に、ぬっくと歴史が帰還する。
 うちのベランダの鉢植えから、小さな小さな仏頭と恐竜土偶が発掘された。

2020年7月5日日曜日

路地裏の林檎/五十嵐彪太

 古い板塀の間を歩く。小道の多い町だ。懐かしいような、異国のような。
 地図があてにならない町だ。怖いような、楽しいような。
 だが、日が傾くにつれ、不気味さが増してきた。
 どうしてこんな町に来たのだろう。用事があったに違いない。何か頼まれ事があったような気もするが、忘れてしまった。
 林檎が籠に増えている。行き止まりには、林檎が置いてあるのだ。それを取って、市場籠に入れて、回れ右をしてまた別の路地を行く。また林檎がある。
 市場籠は、いつの間にか手に持っていた。まだ竹が青い。新品の籠だ。林檎がよく似合う。
 すっかり日が暮れてしまった。市場籠が林檎でずっしりと重い。疲れた。林檎を食べてみようか、どうしようか。毒林檎ではなかろうか。
 林檎をひとつ弄びながら歩く。また林檎だ。

路地裏の林檎/立花腑楽

 油粘土をくり抜いたみたいに、粗雑で灰色な路地裏だった。
 ポリバケツの中に、丸のままの林檎が捨ててあって、そこだけ何かの間違いみたいにくっきりと赤い。
 この路地裏はどん詰まりなので、街の色々なものが流れ着く。
 割れた酒瓶とか、使用済みの避妊具とか、時には死体とか。
 その中にあって、この林檎はとりわけ剣呑なものだ。
 林檎が赤いのは、それは彼がひどく怒っているからだ。
 果肉は硬く凝縮し、果汁はふつふつと滾り、果皮はすべてを燃やし尽くそうと赤熱している。
 愚鈍なドブネズミが、そんことなどお構いなしに、怒れる林檎に歯を立てた。
 途端、林檎は針で突かれた風船みたいに空高くへと飛び上がる。
 林檎の怒りにぎらぎら照らされながら、今日も都会に朝が訪れる。