2020年10月18日日曜日

丸い手紙/五十嵐彪太

  筆まめな恋人は、毎日のように手紙を送ってくれる。便箋はいつも正円だ。真ん中に小さな穴があるから、コンパスを使っているのだろう。
 書き方は一様ではない。縦書きのことも横書きのこともある。中心から渦のように書いてあることもあったし、外側からぐるぐる書いてあることもある。
 恋人の書く字はあまりにも小さく、そして少し神経質な感じがする。細かな文字が隙間なくみっしり並んだ丸い紙から、書き出しの「愛しい人へ」を探し出すのはいつも困難だ。
 目を瞬き、指でなぞり、必死で始めの言葉を探す。恋人の匂いが立ち上るような文字の中を分け入り、なかなか出てこられない。

丸い手紙/立花腑楽

  郵便受けに小さな惑星が入っていた。
 作られたばかりと見えて、所々柔らかく、点在するにきびみたいな火口から煙が上がっている。
 それでも、すでにわずかばかりの住民が暮らし始めていて、うごうごと原始生活をしている様が何ともいじらしい。
 そのうちの一人が私に気づいて(彼らから見れば、私は世界に覆いかぶさるような大巨人に見えるだろう)、しきりと何かを訴えようとする。そして、あれよあれよという間に、惑星中の老若男女が集まってきて、天を仰ぎながら、てんでバラバラに喋り始める。
 声は小さいし、表現は稚拙だが、それでも数が集まれば、それなりの情報量になる。
 彼らの言わんとすることは、つまりこういうことらしかった。
「我々とこの惑星は、我々の造物主からあなたへの贈り物なのです。十分な水を与えて、よく陽の当たる場所に置いてください。きっと豊かな緑の星となることでしょう」
 素敵な贈り物だ。是非ともお礼がしたいと思った。
 しかし、どの住民に尋ねても「口にするのも畏れ多い」と言って、造物主の名を教えてくれない。

2020年10月10日土曜日

雲狩/五十嵐彪太

 「父ちゃん、巻層雲、採れた」
「おおー、これはいい巻層雲だ。きれいに採れたなあ」
 6歳になる息子は、雲狩の能力を私の親父から受け継いでしまった。
 親父は孫の顔を見ることなく死んだから、息子は誰に教わるわけでもなく雲狩りの技術を日々伸ばしている。
 父である私にはさっぱりその力はない。親父からも息子からも採取した雲の標本を自慢され、それを整理するのが間に挟まれた私の役割となってしまった。
 本当は、息子に雲狩になって欲しくなかった。親父は秘密裡に台風やハリケーンの制圧を幾度となく頼まれた。あまり長生きできなかったのも、大きな台風に挑んだ際に負った怪我が祟ったからだと思っている。
 台風情報を見ながら息子が呟く。
「おれ、もう少し大きくなったら、台風やっつけに行かなきゃいけないよなー」
 なんとも曖昧な返事をしながら、気象予報士の試験勉強をしてみようかと考える。それくらいしか、息子を支える方法を思いつかない。

雲狩/立花腑楽

  雲は岩の根より生じ、長い長い熟成期間を経て、やがて神話となる。
 もっとも昨今では、あまり熟成の長さなんて問題にしない。
 みんながみんな、自分自身の神話を欲しがってて需要超過なのだ。
 熟成など待っている暇もない。編纂所に持ち込まれた雲は、ほんの一晩だけ漬けこまれた後、即席神話として出荷される。
 俺ら雲狩人も大忙しだった。毎日毎日、峻険に分け入り、湧き出たそばから雲を狩り取っていく。
 おかげで、ここいらの雲はあらかた取り尽くしてしまった。
 連日、灼けるような旱天が続いている。作物はすっかり立ち枯れている。
 立ち枯れそうなのは俺だって同じだ。雲が狩れないと、飯が食えない。
 ここいらが潮時だろうか。
 雲ひとつない空の下、俺は旅具を背負う。広い世界、まだどこかに雲出づる山はあるだろう。

2020年10月3日土曜日

燻製感情/五十嵐彪太

 「悲しみ」をヒッコリーで燻すのは初めてだ。いつもは桜で燻すけれど、今日だけは違う気がした。
「悲しみ」と一言でいうが、ひとつとして同じ悲しみはないのである。それでも大体いつも桜で燻すのは、一種の儀式というか、決まった手順で燻すのが「悲しみ」の場合は相応しい気がしているからだ。その証拠に「喜び」はチップをその都度選ぶ。でも今日は「いつもの手順」ではどうしても燻せない。
 悲しみを網にそっと乗せ、火を着ける。
 ヒッコリーで燻した悲しみは、いつもより煙が目に染みて、しばらく涙が止まらなかった。

燻製感情/立花腑楽

  心臓はいつも煤けている。
 燃料が粗悪なせいで、下腹部の稼働炉からひどい黒煙が立ち上っている。
 世界はもうほとんど滅びかけていて、むかしみたいに上質な燃料なんて残っていない。
 心臓の煤を払ってくれる相棒ももういない。
「あなたのここ、とても香ばしい匂いがするわ。まるで上等のベーコンみたい」
 あいつが居たら、いまでもそう言ってくれるだろうか。
 そんなことを考えながら、かつて世界の一部であった欠片を拾い上げ、自らの稼働炉に放り込む。
 有害物質が燃え上がり、私のタービンを回す。もうちょっとだけ歩けそうだ。