2020年5月31日日曜日

スチームパンク・ダンディ/五十嵐彪太

「素敵な腕時計ですね」
 精緻な歯車がびっしり詰まった腕時計に惹かれて思わず声を掛けた。
 持ち主は、シルバーの髪をきっちりと整え、仕立てのよいスーツを着た紳士である。腕時計ばかりに注目してうっかりしていたが、眼鏡、否ゴーグルと呼んだ方がよさそうなそれも、腕時計とよく似た雰囲気のものだった。
「眼鏡もお揃いですか?」
 と、付け足すと紳士は嬉しそうに語ってくれた。
 この腕時計やゴーグルの部品は、かつて蒸気機関車の一部だったのだと。大きな歯車が役目を終え、潜水艇に使われ、飛行船に使われ、自転車に使われ、ラジオに使われ、だんだん小さくなりながら、腕時計やゴーグルになったんだそうだ。
「ちょっと耳を近づけて御覧なさい」
 いたずらっぽく笑う紳士の腕が耳元にやってきた。聞こえてきたのは「チク・タク」ではなく「シュッシュッポッポ」であった。

スチームパンク・ダンディ/立花腑楽

 平賀某とかいう酔狂人が「飛天蒸気」なんてからくりを発明して以来、江戸の空からは雀も烏も消えてしまった。
 代わりに飛んでいるのは、暇を持て余した人間たちである。
 流行りに浮かれて、考えもなしにふらふら飛んでる連中がほとんどで、下から見上げていると危なっかしくてしょうがない。
 ぐずぐず飛んでいるうちに蒸気を切らして、長屋の屋根に落っこちてきた、なんて間抜け野郎も一人や二人じゃない。
 その点、播磨屋の若旦那の飛び方ときたら、実に潔くて綺麗なものだ。
 例えば、つーっと真っ直ぐに上野まで飛んでいって、寛永寺の桜の上をぐるっとひと回り、またつーっと一直線に店のある日本橋まで戻ってくる。
 どこをどう飛んでも、途中で蒸気が足りなくなるなんてことはない。きちんと考えて飛んでいるのである。
 おまけに蒸気を使い切るのではなく、敢えてほんの僅かばかり残して地上に降りてくるというのが心憎い。
 どうするかというと、その蒸気を鬢に吹き付け、ちょいちょいっと乱れを直して颯爽と引き上げていくというのだから、何とも粋な話である。

2020年5月24日日曜日

蛇の手/五十嵐彪太

 爬虫類と思われる右手を拾った。幸い元気そうだ。
 前足と呼ぶには器用そうに動く。私の指をしっかり、だが握りつぶすことなく掴んでくる。子供に懐かれたような感触だ。これは「手」である。そう認定した。
 しかし、トカゲにしては大きく、ワニにしては小さい。もっとも、このあたりにワニがいたら困るのであるが。
 トカゲを見つけるたびに尋ねてみたが、持ち主を知っているというものは現れない。あまり時間が経つと、さすがに手が干からびるのではないかと焦る。日が暮れたので諦めて家に帰った。
 なんと、持ち主は我が家の前で待っていた。それならそうと、早く言ってくれればよかったのに。と思うが、さすがに物は言えぬか。申し訳ないことをした。
 持ち主はトカゲでなく蛇だった。右手を差し出すと、器用に左手で受け取り、ちょっと難儀するも無事に接続した。後ろ足はあるのかと問うと、「手しかない」ことをひっくり返って証明してみせた。そして両手とも器用に隠して、にょろにょろと帰っていった。達者でな。

蛇の手/立花腑楽

 ミミズがのたくったような字、なんて喩えがあるけれど。
 蛇の書く字は、案外達者なものだった。
 文を貰ったのである。
 筆墨鮮やかにしたためられた古式ゆかしい候文で、おおまかに言うと「お茶でも飲みにいらっしゃいませんか」と、そのようなことが書かれているらしかった。
 さてさて、風流人士で通ったあの蛇のことだ。あの艷やかな尻尾を筆に巻きつけて、文のひとつも書くだろう。
 一通りの礼儀作法にも通暁はしてるだろうし、ただ、それにしたって茶の湯というのは穏やかではない。
 尻尾一本でわたわたしているうちに、つるりと茶釜に落っこちてしまうんじゃないか。
「で、ご主人は他には何か?」
 文を持ってきた小僧にそう問いかけると、坊主頭をぽりぽり掻きながらこう答えた。
「はぁ、手もない身ゆえ、皆様には無作法をお目にかけるやもしれぬ。介添えなぞしていただけると助かるのだが、と」
 私はわっはっはと笑ったあと、返書をしたためて小僧に持たせた。
 さて、どんな着物を着ていこう。

2020年5月16日土曜日

骨孕み/五十嵐彪太

 月の物が訪れなくなってしばらく経ったある日、痛みを伴う異物を陰から引っ張り出した。骨だった。
 白く小さく、そして愛おしかった。だが、どうしてよいものかわからない。わからなすぎて骨を持ったまま部屋をうろうろとし、ぽちゃんと衝動的に水槽に入れた。水槽に沈んだ骨は美しかった。ここで間違いないと思った。
 それから毎月のように、骨を産んだ。ひとつ、またひとつと、水槽に骨が堆積していった。
 骨を産み続けてだいぶ経つ。人体の本を見ながら、どの部位の骨かを確認するくらいの余裕もできた。産んでいないのは頭蓋骨だけになった。水槽は骨でいっぱいだ。
 水槽の本来の主である海月には窮屈な思いをさせてしまっている。「これで最後だよ」と声を掛ける。海月に言ったのか、骨に言ったのか、自分でもわからない。
 心なしか海月もそわそわしているように見える。さあ、最後の痛みがやってくるよ。

骨孕み/立花腑楽

 外法頭のされこうべが野晒しになっている。
 骸だらけのこの野っ原で、それにしたって際立って大きなされこうべだった。
 その無闇に大きな頭蓋には、みっちりと嬰兒が詰まっている。
 野犬に襲われる心配もない。すくすくと育っている。
 されこうべの眼窩を覗いてみると、その様子がよく分かる。
 なぁ、お前さんの父親は誰なんだい。
 かかか、とされこうべの顎が笑う。
 眼窩のなかで、嬰兒の口角がにっと引き攣る。
 そりゃあ言えないよ、何せ、やんごとなき御仁だからね。
 そう答えたのは、どちらだったのだろう。
 両眼窩に一粒づつの飴玉を放り込む。
 からりころり、虚ろの中で飴玉を転がす音がしばらく響いたかとおもうと、
 ああ、ああ、ありがたいことです。これでしばらくはややこも救われまする。
 先ほどとは全く違う声色でお礼を言われ、私はすっかり混乱してしまった。

2020年5月9日土曜日

聞き待ち街/五十嵐彪太

 初めての出張、初めての一人旅。初めて聞く名前の街。
 極度に緊張しながら駅前の大通りを歩く。次の交差点、信号渡って、左。
「信号が赤になりました! 注意して渡りましょう!」
 歩行者用信号が青になり、信号機がそう言った。赤って言った。だが信号は青で、車はどんどん走る。どうしていいかわからないまま、信号は黄色になり、赤になった。
「信号が青になりました! 車が通ります! 歩道で待ちましょう!」
 信号機は青と言うが、赤く光っている。車は止まっているが、同じく信号待ちをしているであろう隣の人も歩き出さない。そうこうするうちにまた信号が変わる。
「信号が赤になりました! 注意して渡りましょう!」
 もう本当にどうしていいかわからない。恐る恐る隣の人に話掛ける。
「あのう、この信号、いつ渡れるんでしょうか」
「……」
 声が小さくてよく聞こえない。信号機はこんなに大音量なのに。

聞き待ち街/立花腑楽

 夏の夕陽は凶暴だ。私たちの影をやたらと威嚇する。
 先日、仕事からの帰り道でのことだ。路面電車を降りた停留所で、かっと強い夕陽に照らされ、私の影はいつになくパニックに陥ってしまった。
 慌てて足首を掴もうとしたものの、時すでに遅し。するりと手をすり抜け、影は東へ東へと走り去ってしまった。
 これには参った。月末までに連れ戻さないと、監査員からどんな仕打ちを受けるかわからない。
 私は職場に理由を説明して、しばしの休暇を貰うことにした。もちろん、己の影を探すためだ。
 影のことは影に聞け。
 そう考えた私は、街中の影たちに聞き込みを開始する。
 が、影たちは、その濃淡によって住むレイヤーが違う。こんな小さな街でも、幾層ものレイヤーを行ったり来たりするのは、全く骨が折れることだった。
 おまけに、濃い影たちは朗々と嘘をつくし、淡い影たちときたらぼそぼそと何を言ってるのかわからない。
 甚だ信頼性の薄い口コミを頼りに、今日も私は夕闇の街をさまよう。
 こうして歩いているうち、例えば、郵便ポストの裏で、所在なさげに私を待つ影に再会できることを期待して。

2020年5月2日土曜日

淡く、ときには速く/五十嵐彪太

 大小の泡が転がる。多くの泡はすぐに弾けてしまうが、いくつかの泡は手のひらを転がり、手の甲を転がり、そして空中に飛び出す。
 舞い上がる。急げ。風に呼ばれ、大きく開け放たれた窓へ。さあ、虹色に輝け。
 五月、石鹸の泡の一部は、手洗いの任務後にシャボン玉と名を改めたのだった。

淡く、ときには速く/立花腑楽

 繰り返し瞬きをしたときとか、手をぱたぱた降ったときとか。
 そんな些細な仕草の折に、風が生まれる。
 薄荷油をほんの数滴垂らしたような、淡い色合いの風だ。
 普段は頬や唇をさわさわ撫ぜる程度の微風だが、思いもかけず大暴風が吹くときだってある。
 それはもう、予告も前触れもない。本当に唐突に吹いてくるのだ。
 台風一過みたい。後に何ものこさない。
 鼻がすんすんするので、今回は濃い風だったのかもしれないな。
 きょとんした小憎らしい顔を眺めながら、後になってからそんなことを考える。