平賀某とかいう酔狂人が「飛天蒸気」なんてからくりを発明して以来、江戸の空からは雀も烏も消えてしまった。
代わりに飛んでいるのは、暇を持て余した人間たちである。
流行りに浮かれて、考えもなしにふらふら飛んでる連中がほとんどで、下から見上げていると危なっかしくてしょうがない。
ぐずぐず飛んでいるうちに蒸気を切らして、長屋の屋根に落っこちてきた、なんて間抜け野郎も一人や二人じゃない。
その点、播磨屋の若旦那の飛び方ときたら、実に潔くて綺麗なものだ。
例えば、つーっと真っ直ぐに上野まで飛んでいって、寛永寺の桜の上をぐるっとひと回り、またつーっと一直線に店のある日本橋まで戻ってくる。
どこをどう飛んでも、途中で蒸気が足りなくなるなんてことはない。きちんと考えて飛んでいるのである。
おまけに蒸気を使い切るのではなく、敢えてほんの僅かばかり残して地上に降りてくるというのが心憎い。
どうするかというと、その蒸気を鬢に吹き付け、ちょいちょいっと乱れを直して颯爽と引き上げていくというのだから、何とも粋な話である。