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2023年8月6日日曜日

地平線の掠れ/立花腑楽

 大地の果てに、コカ・コーラの空き瓶を捨てに行く。
 目的地は、ただひたすら西の地平線で、迷う懸念は微塵も無いはずだった。
 黄昏の、あの蕩けゆく太陽を幾夕も見続けたせいだろう。
 眼球は乾き、視界がおぼつかない。地平線は何重にも掠れて見え、まるで五線譜のようだと思った。
 さて、私が目指すのは何段目の地平線だったか。
 不安に思っていると、ぽっかり黒い人影が眼前の夕陽を遮った。
 その男の手には、スプライトの空き瓶が握られている。
 あなたはどちらに向かうのですかと問うたが、ひどく甲高い声でよく聞き取れない。
 仕方ないので、黙って彼に追従することにした。
 私が目指すべき地平線は、少なくとも彼が目指すそれよりは、きっと下の線なのだろう。
 茜に濡れそぼり、とぼとぼと、男と私はそれぞれの最果てを目指す。
 背後に伸びた影が、とてもとても長い。

2022年11月27日日曜日

乗り過ごし/立花腑楽

  知らぬ間に「明日」になっていた。私はまだ、「今日」から下車できない。
 だいぶ酔っていたが、私の本体は無事、家に着いただろうか。布団の中で、明日を迎えることができただろうか。
「どこまで行かれますか」
 車掌に問われたので、行けるところまで行ってみたいです、と答えた。
「そういうわけにはいきません。次の駅で降りてもらいます。折り返し運転はありませんが」
 車窓は真っ暗で何も見えないが、ちかっちかっと光るものが後方に流れていく。「名残惜しい」を景色にすると、きっとこういうことだろうと思った。
「この子も次で降ろします。一緒に連れ帰ってあげてください。もう随分前から乗っているんですよ」
 十数年前の、愛犬を喪ったあの晩の幼い私が、不貞腐れたように俯いていた。

2022年11月16日水曜日

開封の儀/立花腑楽

 臓腑が羽化をする。胃は蝶に、肺は蜻蛉に。
 戒めを解かれた私は、内側をそよそよと風に晒す。
 蝶も蜻蛉も、まだ羽は濡れててしわくちゃで、しばらくは飛び立ちそうにない。
 私を開いた神官は、メスを縫合糸に持ち替えたまま、所在なさそうにしている。
 もうちょっとだけ、このままでもいいと思った。

2022年4月24日日曜日

青い鳥居/立花腑楽

 暗い森の奥を目指して鳥居が幾重にも続いており、それらが不思議と青いのだ。
「ネオン糖でできているのです。舐めると涼やかな甘みがありますよ」
 禰宜はそう説明しながら、深奥へと私を誘う。
「赤い鳥居もいくつかありますね」
「それらはもう古くて劣化したものです。抜いてしまわないといけない」
 そんな会話を交わしながら、いくつもいくつも鳥居をくぐった。
 青、青、青、赤、青、青、赤、青、青……。
 暗い参道を歩けど歩けど、目的の社は見えてこない。森の胎内に分け入っている気分になる。
「お疲れですか。それなら、少し休みましょう」
 禰宜は腰を下ろし、傍らの鳥居をやたら長い舌でべろべろ舐めはじめた。
 私は興味本位で赤い方の鳥居を舐めてみたが、これがまったく舌が焼けるような酷い味で、
「ああ、あなた、何をなさっているのです」
 禰宜がひどく狼狽した口調で静止するものだから、私も何かとんでもないことをしでかしたような気になり、心臓が口から飛び出すほど跳ねるのを感じた。

2021年10月3日日曜日

ツノアリツノナシオニ/立花腑楽

 出生時はなんの変哲も無い角だった。
 言葉を覚え始めたころから異常発達をはじめ、五つになるころには、すっかり異形に育ってしまった。
 誰がどう見ても、それは鬼の角ではなく、鹿の角であった。
 さほど珍しいことでもないらしい。鬼の因果と獣の因果は容易く混じり合う。
 しかし、獣角の鬼は、他の鬼から蔑まれる。
 不具の息子の行末を哀れんだ父は、悩みに悩んだ挙げ句、私の角にごりごりとヤスリをかけて、もっともらしい鬼の角をでっち上げてしまった。
 内には獣の因果を宿し、まがいものの角を生やした息子に、父は常々こう言った。
「いいか、実のところな、鬼も獣も人も、さしたる違いはないのだ。お前が自身を鬼と思うなら、お前は間違いなく鬼で、そして私の息子なのだ」
 しかし、父よ。父よ。何故なのだ。
 雄々しい角を持った牡鹿が森を闊歩する。その姿を見ると、私は泣きたくなるほどの後ろめたさと羞恥を感じるのだ。

2021年8月22日日曜日

暁のメリーゴーラウンド/立花腑楽

 悪夢にも終わりがある。
 出し殻みたいになった悪夢は、老いた黒馬の姿となって宿主の眠りから抜け出す。
 誰も視認できないが、夜明け前の街は、こうした悪夢の成れの果てに満ちている。
 どこかで、この夜最後の夢魘の呻きが聞こえたが、やがて穏やかな寝息に変わった。
 黒馬たちは一斉に走り出す。ぐるぐると街を周回する。
 世界軸の歯車が動き出し、ぎっぎっぎっと東の空から陽が昇る。
 悪夢たちは陽の光で揮発する。
 原動力は消えても、朝日は勢いのままに上昇し、悪夢の消えた町におはようを告げた。

2021年7月18日日曜日

泥を飼う/立花腑楽

  寝室の闇が何となく嘘っぽく、すかすかしている。
 夜の圧があまりにも軽いものだから、私はいつまで経っても寝付くことができないでいる。
 こんな寝苦しい夜は、泥が寝床に忍んでくる。
 泥は父のお気に入りだった。
 父が死んでしばらくは、その気配を感じることは無かった。
 どこか他所に行ったか、屋敷の奥のどこかで、人知れず乾いているのだろうと思っていた。
 四十九日の法要が終わり、家産が名実ともに私の名義になったころ、屋敷のそこかしこで、再びあいつの痕跡を見かけるようになった。
 泥濘の汚れは日に日に増し、それは私との距離感をじわじわと詰めてくるように思われた。
 そしていつしか、私の寝室まで侵すようになった。
 肌に触れる泥は、暖かくもなく冷たくもなく、湿っているようでも乾いているようでもあった。まるで猫の肉球みたいな感触だった。
 泥よ、泥よ。お前は一体、父さんの何だったんだい。
 泥はかすかに震え、私はそこにわずかな怯えのニュアンスを感じた。

2021年6月27日日曜日

住民十色/立花腑楽

  マンションの階段を登っている。
 古いコンクリート造りで、どことなく公営団地の趣がある。
 まだ陽は高いはずなのに、踊り場の隅とか、廊下のちょっとへこんだところとか、そこかしかに曖昧な暗がりがわだかまっていた。
 そうした闇の中に、お目当ての人物が逃げ込んでいないかを念入りにチェックする。
 ここいらの住民はろくでなしの債務者ばかりだ。
 私財の大部分を借金のかたに取られ、挙げ句に自分の色彩まで毟り取られた連中だ。
 色のひとつやふたつを取られたくらい、どうってことない。
 しかし、その度が進むに連れ、だんだんと身を削がれるように原色へと近づいていく。
 ここいらに住むのは、ほとんど赤・青・黄の連中ばかり。実に哀れなものである。
 さて、問題なのは、それすら通り越して、真っ黒になった連中だ。
 真っ黒なので、隠れられると見つけるのに難儀する。
「鈴木さん、そこに居るんでしょう」
 俺は、ほのかに青みがかかった闇に詰問する。
 突きつけた借用証文が、涼やかに白く揺れる。

2021年6月6日日曜日

発泡性幽霊/立花腑楽

 点滴されると、冷たい薬剤がすっと体内に侵入してくるのがわかる。
 幽霊に取り憑かれるのも、その感覚に似ている。
 幽霊は液状なんだと私は思っている。濁ってたり澄んでいたり、さらさらだったりとろとろだったり。
 とりわけ面白いのは、発泡性の幽霊に取り憑かれたときだ。
 幽霊は私の魂にしがみつく。ぷちぷちと弾ける気泡が、冷たく繊細な棘みたいに私を苛む。
 それは爽快感を伴う不思議な痛みで、ずっと飼い殺しにしてきた古い記憶の扉をノックする。
 ただ、幽霊の発泡はそんなに長くは保たない。
 しゅわしゅわと気が抜けたあとでは、他の凡庸な幽霊と何ら変わるところはない。
 一抹の名残惜しさを覚えながらも、私は気の抜けた幽霊を冷淡に放逐する。
 まるで断末魔のように、あるいは品のない噫のように、最後の一粒の気泡がぷちっと弾ける。

2021年4月4日日曜日

理義字/立花腑楽

 「FF」と表記する。これで漢字一文字だ。
 読み方は知らないが、有限の終わり、転じて世界の終わりを示す一文字だ。
 世界はいずれ「FF」の日を迎え、そっと終わるのだろう。
 誰も彼もそんなことを考えながら、日々をぼんやりと過ごしている。
「本当は内緒なんだけどね、そのずっと先もあるんだよ」
 彼女はそう笑いながら、聖典に記載された「FF」の下に、もう一つ「FF」を書き足した。
 2×2にならんだF。それをとんとんと叩く指。世界がデジタル震でジジジと揺らぐ。
「ぼくらはまだまだ進化するよ。8の世界から16の世界へと」

2021年3月21日日曜日

汚染揮毫/立花腑楽

 暗闇に分け入るように、田んぼの中の一本道を歩いている。
 星の無い夜にじわりと握られた懐が熱い。
 先生に揮毫いただいた短冊が熱を発しているのだ。
 内臓の炎症痛のように、どことなく悪意を孕んだ熱だ。
 ああ、だめだ。やっぱり先生も保菌者だったのだ。
 これは腐敗熱だ。「祝」の一文字が、「呪」に急行直下するときに発する摩擦熱だ。
 これはもう持って帰るわけにはいかない。うちの店の商品まで汚染してしまう。
 ここで燃やしてしまおう。
 燐寸の硫黄臭と、ささやかな浄火の灯り。
 汚染揮毫の短冊はあっという間に燃え尽きて、私はすっかり手ぶらになって、それでも懐に空虚な気持ち悪さだけを抱えながら、またひとり、闇夜の帰路に脚を踏み出す。

2021年2月7日日曜日

手袋を売りに/立花腑楽

 左手は不浄の手だ。
 故に、左手袋にはたっぷりと業が染み込んでいる。
 そしてこれがまた、実にいい出汁が出るのだ。
 例えば、場末の立ち飲み屋。
 ああいう店の煮込みなど、その鍋底にはぐずぐずに煮込まれた左手袋が入ってないとどうしようもない。
 細胞の隙間にぎっしり疲労を詰めた労務者が、肋骨と胃袋以外は身ぐるみ剥がされた博打狂いが、小さい肉体の内側で魂をヤスリにかけている浮浪児が、その滋味を糧とするのだ。寒さで鼻の頭を真っ赤にして、その鼻を湯気に突っ込みながら貪るのだ。
 俺は右手袋の味はよく知らないが、右手袋の味が好きな連中とは仲良くなれない気がする。
 俺は今日も這いつくばりながら、道端に落ちてる左手袋を広い集め、馴染みの飲み屋に売りつける。
「よう、いつもありがとな。一杯飲んでってくれよ」
 そうして店主の親父に奢ってもらう煮込みと焼酎の味、それが実に堪らない。

2021年1月24日日曜日

水銀信仰/立花腑楽

  神は腐らないし燃えない。酸にも溶けない。
 だから廃棄には難儀する。
 地中に埋めると土壌を汚染するし、海洋投棄など以ての外だ。国際社会から袋叩きに合う。
「実は水銀にだけは溶けるのですよ。我が国ではずっと昔からそうやって処理しているのです」
 とある婆羅門が、本邦の政府高官にこっそり耳打ちをする。
 廃神と水銀のアマルガム。
 おかげで少しは嵩張らなくなったが、何せ神々は八百万もおわすのだ。根本解決にはなっていない。
 喧々諤々の議論の結果、陸でも海でもない場所に遺棄されることとなった。
 神々を溶かし込んだ水銀カプセルが、衛星軌道をぐるぐる回る。
 教義を忘れ、神々の名も忘れ、それでもちりちりと身を焦がす信仰心から、人々は今夜も夜空に祈りを捧げる。

2021年1月13日水曜日

蛸/立花腑楽

 これが最後の一本となってしまいました。
 私のこの想い、汲んでいただけましょうか。
 蛸壺より愛を込めて。
 
 また、蛸から恋文が届いた。
 今回も立派な蛸足が一本添えられている。花魁が意中の相手に小指を送るようなものか。肉厚でぷりぷりしていて、相変わらず美味そうである。
 それにしても、足をすっかり無くした蛸の頭だけが、みっちり蛸壺に収まっている様を想像すると、何だか哀れである。
 どれ、これまでの手紙も読み返してみようかと文箱をひっくり返す。
 これが、今回のも合わせると何と九通もあったのだ。
 これは困った。ミステリーだ。
 困ったなりに、私は最低限の礼儀として「大変に美味しゅうございました」とだけ返書をしたためる。

2020年12月27日日曜日

徒手空拳クッキング/立花腑楽

 珍しく祖母が台所に立っていた。その日は母が出かけて居なかったのだ。
 しぃーってしながら手招きするので、近寄ってみる。
 俎板に一羽の兎が横たわっていた。
「しめこ鍋、っちゅうんじゃけどね」
 久しぶりに聞くしゃきしゃきの姐さん声だった。呆けてからはついぞ聞いたことがない。
 包丁は母が隠しているので、どうするかと思ったら、素手で剥いていくのだ。
 手足の付け根をぱきぱきと折り、どこをどうぞりぞりしたのか知らないが、あれよあれよという間にお頭つきの毛皮と、きれいにばらばらにされた肉身が取れた。
 結局、そのしめこ鍋がどんな味だったのか、よく覚えていない。
 ただ、肉を引き裂くときの爪がやたらきらきらとしていたのが印象的で。
 彼女の骨上げのときに、骨片に混じってそのきらきらが残っていたものだから、ああ、あれかと一人合点したのである。

2020年12月1日火曜日

黒地図/立花腑楽

 白身魚のフライを脇にどかす。
 現れたのは黒色の平原で、そのうえをついついっと箸でなぞる。
 しばし沈思黙考。
「北……だな。でかいシノギの気配がする」
 見切り品の海苔弁から、一体全体、何を感得したのやら。
 ホームレスの哲さんは、上野駅の雑踏へと消えていく。

2020年11月15日日曜日

偽書編纂所/立花腑楽

  分娩されぬまま葬られた物語は、創作者の魂から切り離さないといけない。
 幽世に持っていくには、物語というやつはノイズが多すぎるのだ。
 死者たちの魂に、まるで腫瘍みたいにくっついてる物語を刈り取るのも、我ら死神の仕事である。
 刈り取られた物語は、まとめて偽書編纂所に送られる。
 改竄、裁断、融解、整形――様々な過程を経て、蛭児みたいに不完全だった物語たちは統合され、いっぱしの偽書となる。
 語られることのなかった物語、そして、いつしか語られるかもしれない物語の掌編集だ。
 さて、これから先は、我ら死神ではなく、産土神の領分である。
 新たな生命とともに偽書を授かる赤子たちよ、健やかにあれ。

2020年11月3日火曜日

都市散骨/立花腑楽

 街はすっかり痩せ衰えてしまった。
 人があまり死なぬから、肥料が足りぬのだ。
 早晩、腹をすかした街は人々を食うようになるだろう。
 そのことを理解しているのは、今のところ、零細民たちだけだ。何しろまっさきに食われるのだろうから。
 だから彼らは、まるで街の空腹をなだめすかすよう、毎夜、同胞たちの骨を撒く。
 一級市民たちの目に付かぬよう、少量ずつ、ひっそりと。
 撒き散らされた骨灰が、卒塔婆みたいなガス燈に燐を灯す。その幽き灯りに、零細民たちはしばしの安堵を得る。

2020年10月18日日曜日

丸い手紙/立花腑楽

  郵便受けに小さな惑星が入っていた。
 作られたばかりと見えて、所々柔らかく、点在するにきびみたいな火口から煙が上がっている。
 それでも、すでにわずかばかりの住民が暮らし始めていて、うごうごと原始生活をしている様が何ともいじらしい。
 そのうちの一人が私に気づいて(彼らから見れば、私は世界に覆いかぶさるような大巨人に見えるだろう)、しきりと何かを訴えようとする。そして、あれよあれよという間に、惑星中の老若男女が集まってきて、天を仰ぎながら、てんでバラバラに喋り始める。
 声は小さいし、表現は稚拙だが、それでも数が集まれば、それなりの情報量になる。
 彼らの言わんとすることは、つまりこういうことらしかった。
「我々とこの惑星は、我々の造物主からあなたへの贈り物なのです。十分な水を与えて、よく陽の当たる場所に置いてください。きっと豊かな緑の星となることでしょう」
 素敵な贈り物だ。是非ともお礼がしたいと思った。
 しかし、どの住民に尋ねても「口にするのも畏れ多い」と言って、造物主の名を教えてくれない。

2020年10月10日土曜日

雲狩/立花腑楽

  雲は岩の根より生じ、長い長い熟成期間を経て、やがて神話となる。
 もっとも昨今では、あまり熟成の長さなんて問題にしない。
 みんながみんな、自分自身の神話を欲しがってて需要超過なのだ。
 熟成など待っている暇もない。編纂所に持ち込まれた雲は、ほんの一晩だけ漬けこまれた後、即席神話として出荷される。
 俺ら雲狩人も大忙しだった。毎日毎日、峻険に分け入り、湧き出たそばから雲を狩り取っていく。
 おかげで、ここいらの雲はあらかた取り尽くしてしまった。
 連日、灼けるような旱天が続いている。作物はすっかり立ち枯れている。
 立ち枯れそうなのは俺だって同じだ。雲が狩れないと、飯が食えない。
 ここいらが潮時だろうか。
 雲ひとつない空の下、俺は旅具を背負う。広い世界、まだどこかに雲出づる山はあるだろう。