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2020年6月7日日曜日

紫陽花奇譚/五十嵐彪太

 頬骨の目立つ髭の老人が短い杖を持って歩いている。老人は気難しい顔で短い杖でピシリと紫陽花を指す。美しく立派な、老人好みの咲きぶりだ。
 杖で指名された紫陽花は、サッと花色を変えたり……はしない。その代わり、老人の後を歩く老人が小さな如雨露で水を撒く。
 如雨露の老人は、ふくよかで目尻が下がった笑い顏である。小さな如雨露はブリキ製のようだ。
 杖の老人が指す紫陽花に次々と水を撒く。小さな如雨露だが、水は途切れることなくたっぷりと紫陽花に降り注ぐ。

 不思議な老人二人組の目撃情報が全国で相次いだその年、晩秋まで紫陽花が枯れなかったという。

紫陽花奇譚/立花腑楽

 キッチンの水切りの中で、淡い紫色がわだかまっていた。
 残飯を苗床にして、こどものてのひらほどの紫陽花が咲いている。
「面妖な場所で咲きなさる」
 そう言うと、紫陽花はひどく動揺して、花びらを青くしたり赤くしたりした。
「いや、実は私にも何が何だか……。名も知らぬお方、どこでも構いません。私を同朋たちのもとへ連れて行ってください」
 今度は私が動揺する番だった。そんな丁寧なお願いをされても、今年は空梅雨で、近所の紫陽花たちはみんな元気がないのだ。
 くどくどと期待に沿えないことを詫びはしたが、紫陽花は案外、けろっとした顔をしている。
「空梅雨だと聞いて納得しました。ならば、私は迷うべくして迷い、ここに辿り着いたのでしょう」
 すぅっと笑う。
「あなたからは、とても濃い雨の匂いがする。まるで蛙か蝸牛みたい。こんな人間は初めてです」
 蛙と蝸牛、紫陽花に私。何とも湿っぽいカルテットで嬉しくなってくる。
 ちょっと前に仕込んだ梅酒は、梅雨明けまでには何とか飲めるようになるだろう。
 それまでは紫陽花よ、蛙や蝸牛の話をしながら、このキッチンでゆっくりしておいで。