2019年8月22日木曜日

夢獣/五十嵐彪太

 物心ついた頃から、そいつは必ず夢に出た。どんな荒唐無稽な夢でも、端役のように登場する。
 傍にいたり、一緒に散歩したり、ただ通り過ぎることもある。いやらしい夢の時に、ジッとこちらを見てくるのは参るが、困るのはそれくらいだ。
 夢に出る動物といえばバクだろうが、おれの夢に出るのはバクではなくパグをもっと毛むくじゃらにしたようなやつだ。ただし、ワンとは吠えない。「ム」とか「ムジュ」と鳴く。だから「ムジュー」と呼んでいる。
 子供の頃から当然のように夢に出てくるから、おれは他の人にもムジューか、ムジュー的なものが夢に出るものだと思っていた。そうではないと知ってから、ムジューの話を他人にすることはなかった。馬鹿にされるか、不気味がられるのが関の山だからだ。
 雨の日だった。おれは道端でひしゃげた段ボール箱を見つけた。近寄ると聞き慣れた声がした。
「ムジュ ムジュ」
 箱を開けると、ムジューが飛び出してきた。夢で見るムジューよりも幼いが、ムジューに間違いなかった。パグそっくりな顔のふわふわが、腕の中で尻尾を振っている。
 ムジューは夢の中よりも甘ったれで、いたずら好きだ。そして、おれは夢を一切見なくなった。

夢獣/立花腑楽

 微睡ヶ原のそこかしこで、夢獣たちが牧草を食んでいる。
 正確には獣偏に「夢」と書くが、その読み方は誰も知らない。故に、ひとまずは夢獣と呼称している。
 ここ最近、夢獣は増え過ぎなのだという。
「不眠症の時代だからね。供給過多なんだよ」
 微睡ヶ原の管理人がそう教えてくれた。二匹の夢獣をその両手にむんずと掴んでいる。
「ああ、間引くんだ。可哀そうだけどね」
 微睡ヶ原にも夜の帳が降りようとしていた。
 陰惨な夕焼けを背負いながら、ぼくは今宵を共にする夢獣の一匹をそっと抱き寄せる。

2019年8月17日土曜日

埃まみれ/五十嵐彪太

 住人のいなくなった実家を片付けていると、桐の箱に入った茶碗を見つけた。
 掛けてある紐は変色していて、解くと結び目だったところだけ鮮やかだった。
 箱も埃っぽかったが、中の茶碗はもっと埃まみれだった。触るのも憚られた。
「ねえ、この茶碗、なに? ずいぶん古そうだけど」
 と問いたくなるが、その相手はいないのだった。
 埃まみれではあるが、姿形や色も悪くない。ご飯茶碗にするのによさそうだと洗って持って帰ることにした。
 その日の晩、さっそくご飯をよそい、食卓へ置く。うっかり味噌汁を出し忘れていたので、一旦台所に戻り、味噌汁を持って食卓に戻ってくると、茶碗は空だった。
 ご飯はよそったつもりだったが……と思っていると、炊飯器の中はやはり一膳分減った形跡がある。
 気を取り直して、ご飯をよそい、食卓に着く。「いただきます」と手を合わせ、味噌汁と、おかずを一口ずつ食べて、茶碗を持つと、ご飯はないのだった。
 あくる日、家中を箒で掃除した。それから茶碗を持って実家に行き、やはり箒で掃除した。そして集まった埃を、茶碗に入れて、桐の箱に仕舞い、紐を固く結んだ。

埃まみれ/立花腑楽

 部屋の隅にわだかまっている埃――その構成要素のほとんどは微細な繊維クズだ。
 しかし、そうした繊維クズの中に、実は宇宙ひもの一部が混在しているとの噂がある。
 宇宙創成期に崩壊した宇宙ひもの痕跡を発見すべく、多くの物理学者たちが今日も廃屋の片隅で埃まみれになっている。

2019年8月4日日曜日

こどもの儀式/五十嵐彪太

 家を出ると地面に何やら円形の図が描いてある。近所の子がろう石で書いたのだろうか。歪みや幼さがあるものの、なかなか凝った図案で、魔法陣のような雰囲気もある。
 これを踏んで通るのは少し気が引けるが、かなり大きいのでどこも踏まずに通るのは無理そうだ。実はさっきから塀の陰からこちらを覗く小さな人の視線にも気が付いている。どうせ踏まなきゃならないなら、真ん中を通ってやろう。
 円形の図のちょうど中心で立ち止まって、呪文を唱えるふうに言ってみた「オガサワラチビヒョウタンヒゲナガゾウムシ」
 すると塀の陰で見ていた子が駆け寄ってきてグイッと握った手を差し出す。つられて手を出すとオガサワラチビヒョウタンヒゲナガゾウムシ……ではなくてダンゴムシを渡された。
「おめでとう」と子が言う。
「ありがたき幸せ」と返すと、満足そうに頷き、また塀へ戻っていった。
 帰りにはもう魔法陣は薄れかけていた。小さい人がいた塀の足元には、ダンゴムシがたくさんいたので、朝のダンゴムシを返しておいた。

こどもの儀式/立花腑楽

「こんでんえいねんしざいのほう、こんでんえいねんしざいのほう」
  学級委員長の長谷川さんが唱える呪文に、がしゃん、タンバリンの音が唱和する。
  このリズムはあれだ、父さんがたまに口にするあれだ。どんどんよくなるほっけのたいこ。意味はもちろんわからない。
  わからないと言えば、何で長谷川さんたちがこんなことをしてるのかも、よくわからない。
  こんでんえいねんしざいのほう。そして、がしゃん。
  教壇に立つ長谷川さんは、先生よりも先生らしく見えた。
  朗々と呪文を唱えながら、取り巻きたちに指示を出す。
  かっかっかっかっと、色とりどりのチョークが黒板を舞う。
  出来上がったのは、雑で下手っ糞で、でも分かる。図画の資料集で見た、ピカソのゲルニカの模写だ。
  取り巻きたちがのぼせた赤ら顔をしている中、長谷川さんはこっちを見て、メガネの奥でにかりと微笑する。
  たぶん、この不思議な儀式の意味がわかるときが来たとして、でも長谷川さんのこの微笑の意味がわかるときは、未来永劫、絶対に来ない気がした。