2020年11月15日日曜日

偽書編纂所/五十嵐彪太

 表向きは公文書館ということになっているが、ここが偽書編纂所であることは、誰しも知っている。
 未来の人々、或いは異国の人々、はたまた異星の人々を、うまいこと騙そうと、この国の人々は国を挙げて企み、喜んでいる。
 だいぶ風変りな国民性だと思うが、編纂所所長の立場としてはあまり大きな声で言えない。
 ここに収められた資料や歴史書の数々は、この国の正式な偽書ばかりである。偽書を参照にしてさらに偽書を編纂する。
 国民も心得たもので、偽りの歴史が偽りだとバレぬようニュースや新聞やインターネットでの発信には十分すぎるほどの注意を払う。
 所長として今、頭を抱えているのは、嘘がウソでなくなりつつあることだ。嘘をつくための言動がだんだん本当になっていく。これでは偽書が偽書でなくなってしまう。そしてこれを「偽書だ」と証明するものが何もなければ、未来の人々は偽書を偽書と見抜けなくなってしまう。しかし、ある程度、真実味を帯びていなければ、偽書の妙味もなくなり……さて、この私の発言は真か嘘か。

偽書編纂所/立花腑楽

  分娩されぬまま葬られた物語は、創作者の魂から切り離さないといけない。
 幽世に持っていくには、物語というやつはノイズが多すぎるのだ。
 死者たちの魂に、まるで腫瘍みたいにくっついてる物語を刈り取るのも、我ら死神の仕事である。
 刈り取られた物語は、まとめて偽書編纂所に送られる。
 改竄、裁断、融解、整形――様々な過程を経て、蛭児みたいに不完全だった物語たちは統合され、いっぱしの偽書となる。
 語られることのなかった物語、そして、いつしか語られるかもしれない物語の掌編集だ。
 さて、これから先は、我ら死神ではなく、産土神の領分である。
 新たな生命とともに偽書を授かる赤子たちよ、健やかにあれ。

2020年11月3日火曜日

都市散骨/五十嵐彪太

  今日も骨の粉がサラサラと降ってきた。手のひらをかざすと僅かに白い粉が落ちる。東京で、唯一散骨が許されたこのビルの屋上、当初は反対が多かったとも聞くが、今では当たり前の光景だ。
 アスファルトに、街路樹に、走る車に、誰かの傘に、誰かの髪の毛に骨の粉が落ちる。故人はこの都市の一部となる。
 自分もいずれそうなるのだろう。東京で生まれた私は、遠くの海や知らない山に骨を撒かれるよりも、そのほうがいいような気がする。
 心の中で手を合わせ、駅への道を急いだ。

都市散骨/立花腑楽

 街はすっかり痩せ衰えてしまった。
 人があまり死なぬから、肥料が足りぬのだ。
 早晩、腹をすかした街は人々を食うようになるだろう。
 そのことを理解しているのは、今のところ、零細民たちだけだ。何しろまっさきに食われるのだろうから。
 だから彼らは、まるで街の空腹をなだめすかすよう、毎夜、同胞たちの骨を撒く。
 一級市民たちの目に付かぬよう、少量ずつ、ひっそりと。
 撒き散らされた骨灰が、卒塔婆みたいなガス燈に燐を灯す。その幽き灯りに、零細民たちはしばしの安堵を得る。