2020年2月1日土曜日

脂溶性の音楽/立花腑楽

 白湯が盃に注がれ、さらに数粒の油滴が垂らされる。
 所作が流れるように美しくて、つい見とれてしまう。
 主人はその盃を私に差し出し、さあどうぞ、と促した。
 鼻、唇、舌、口腔、食道、胃。感覚細胞のひとつひとつが剥き出しになり、剣山みたいに尖っていく気がする。
 私は盃をおしいただくと、ことさら作法通りに口をつけた。
 まずは白湯の温かさ。少し遅れて、ごく幽かな油の風味――。
 瞬間、ざわっと感覚細胞が色めき立つが、油滴は白湯とともに口中をするすると滑り落ち、何の感慨も残さないまま消えていく。
 しまった。捉えきれなかったか。
 そう思った刹那、糸のように細いレトロネーザルが、喉奥から鼻腔へと抜けていくのを感じた。
 鼻腔をかすめるささやかな薫香の奥に、私はある弦楽器の音色を聞く。
「胡弓、でしょうか」
 主人はにっこりと微笑むと「お見事でございます」と頭を垂れた。