2019年10月26日土曜日

やわらかな船/五十嵐彪太

「旅に出ようと思う」と、友は言った。
「いってらっしゃい」とか「よい旅を」とか、言えればよかったのだけれど、言えなかった。
 ひとつは、ここが小さな島で、僕と友は二人だけでここに暮らしているから。いつからここに居て、どうして二人だけなのか、全く覚えていないから。友が出ていけば、僕はひとりきりになってしまうから。
 もうひとつは、旅に使うという船が、あまりにも、やわらかいから。大きくて、立派で、それは確かに「舟」ではなく「船」なのだけれど、ふにゃふにゃだった。
 ふにゃふにゃの船なんて、聞いたことがない。それに、こんな大きな船、いつ用意したのだろう?
「どこに?」とも「いつ帰るの?」とも聞けなかった。
 足を沈ませながら、友は船に乗り込み、大きく手を振った。見たことがないくらいの笑顔だった。
 友が旅立ってから、どれくらいの時が経っただろう。ひとりでは思うように食べ物が見つからない。何より、話相手がいないのが辛かった。「置いていかないで」とでも言えばよかったのか、無理にでもついていけばよかったのか。ずっと考えている。
 今日、あの船と同じようなふにゃふにゃを拾った。ひとつ見つけると、あちこちに落ちていることに気が付くようになった。これをたくさん集めれば、船が作れる。

やわらかな船/立花腑楽

「どんなに狭隘で入り組んだ川でもへっちゃらです。この船はとてもやわらかいんですから」
 やわらかな船が一艘、私の源流を目指して無遠慮に遡上してくる。
 停船命令の代わりに、私は私のチョークポイントをぎゅっと絞り上げた。
 にゅるり。やわらかな船は他愛もなく押し出される。
 船はしばらく未練がましく揺蕩っていたかと思うと、何事も無かったかのように沖の方へと航路を変えた。

2019年10月21日月曜日

虹色の傷/五十嵐彪太

 私は空の写真を専門としたカメラマンだ。売れちゃいないが、食うのに困るというほどではない、いや、時々は困ることもある。そのくらいのカメラマンだった。元来、怠け者だから、それくらいでちょうどいいとさえ思っていた。
 だが、あることをきっかけに、ずいぶん名前が売れてしまった。この、足元でごろごろしている猫のせいだ。ある雨上がりの日、道端で目が合った。声を掛けたわけでも撫でたわけでもなかったが、そのまま家まで付いて来てしまった。
 この猫は、気を付けても、隔離しても、私の目を盗み、写真に傷を付ける。フィルムのこともあるし、印画紙のこともあるし、出来上がった写真のこともあった。鋭い爪で付けたその傷は、虹となって写真に現れた。どんなに気を付けても、傷のない写真はできなかったし、一度付いた傷を消すこともできなかった。
 青空にも虹、夕焼けにも虹、雷が光る夜空にも虹……。これでは作品にも商品にもならない。が、どうしても捨てることができない。
 なかばヤケクソで発表したそれらの写真で、私はなぜか有名になってしまった。食うに困ることはなくなった。猫には、感謝しなければならないのだろうか。だが、傷を付けるのは写真だけでない。私の体にも、である。私の両腕両足には、やはり虹色の傷が絶えないのだ。

虹色の傷/立花腑楽

 生白い肌膚を切り開く。
 溢れるのは血潮ではなく、虹色の光彩。
「相変わらずイカれた眺めだな。だが奇麗だ」
 思ったことがそのまま口に出てしまった。
 メスを手にしたまま、しばしその輝きに酔いしれる。
「そのような不躾な眺め様、神罰を蒙りますぞ」
「そんな霞がかったような口調で叱られてもなぁ」
 俺はぐいっと傷口を押し開くと、存分に不躾な視線を送り込む。
「オーケー。いい塩梅だ。あんたの神様は順調にお育ちあそばされてるよ」
 視界がさっと遮られた。
 袴で傷口を隠したまま、螺鈿の巫女が俺をきっと睨んでいる。

2019年10月14日月曜日

穿く鎖骨/五十嵐彪太

「鎖骨を穿いてみないか?」
 と、友が言う。何を言っているかわからない。が、友の顔は、見たこともないくらい真剣で、深刻で……そして少々色気があった。
「穿くって、どうやって?」
 つい、そう言ってしまった。
「鎖骨を抜いて、穿くんだ」
「穿けるのか?」
「ああ、穿ける」
「誰の鎖骨を抜くんだ?」
「そりゃあ……オレの鎖骨だ。他にいるか? おまえ、鎖骨の抜き方、知らないだろう?」
 そう言うと、友はゆっくりと裸になってから、服を脱ぐような手つきで鎖骨を抜いた。鎖骨を抜いた友は、まるっきり身体に力が入らないようで、くたっとソファーに横たわり、潤んだ瞳で鎖骨をこちらに差し出した。
「これが穿く鎖骨だ。さあ、穿いてくれ」
 血と粘液が少し付着しているが、白くて温かい、綺麗な鎖骨だ。
 この鎖骨を穿こう。心からそう思った。

穿く鎖骨/立花腑楽

 酔った男に話しかけられた。
 聞けば、骸職人なのだという。
 一杯奢ってくれるというので、彼の仕事上の愚痴に付き合うことにした。
「明後日までに10体納品しろってんですからね。もう、鎖骨を穿くしかないですよ」
「取引先の担当者、これがまたいい加減な男でして。鎖骨を穿かせるのも大概にしろと言いたいです」
 この「鎖骨を穿く」という言葉が、彼の話の中で頻出した。
 業界特有の言い回しなのだろうか。何となくネガティブな印象は感じ取れるが、その使用パターンが多様過ぎて、今ひとつ意味を掴みきれないでいる。
 鎖骨を穿く、鎖骨を穿く、鎖骨を穿く……。
 何度も聞いているうちに、何だか腰から下の骨がごちゃがちゃごちゃがちゃ、ややこしく絡まっていくような感覚に陥った。
 いつの間にか、私も鎖骨を穿かされてしまっていたらしい。
 その晩、私とその男は大いに意気投合し、足腰が立たなくなるまで痛飲した。それこそ、腰骨を穿いてるのだか鎖骨を穿いてるのだかも覚束なくなるほどに。

2019年10月5日土曜日

月に棲まう/五十嵐彪太

 月が満ち欠けするのは、地球から見て「そう見えるだけ」であるのは多くの人が知るところだが、「そうとも言えない」ことは地球人のほとんどが知らないことだ。
 月光虫は月に棲む生物で、虫という名ではあるが、厳密には地球の「虫」とは少々異なる。月光だの、満ち欠けだのは月に居れば関係なさそうなものなのに、この生物は「地球から見て」「月が輝いている」部分でしか生きられない。
 つまり、日に日に、生息可能区域が広くなったり狭くなったりする。
 満月の時は、月光虫は体も大きく膨らみ、賑やかである。そして僅かに、本当に僅かではあるが、発光するのだ。
 新月の時は、微動だにせず、ひたすらに耐える。ある月光虫に尋ねたところ、新月は痛くて苦しいそうだ。
 月が輝いて見えるのは、太陽の光とか公転とか、いろいろな理屈が地球人にはあるらしい。いつの日にか月光虫の生態が知れ渡ることがあれば、その時には是非とも理屈を改めていただこう。だが、月光虫は、その「いつか」を望んではいない。

月に棲まう/立花腑楽

「夜空に血豆が浮かんでるみたい」
 満月を血豆に喩える彼女の感性は、ぼくにとって非常に新鮮で、とても好ましく感じたものだ。
 あの夜にふたりで見た満月は、確かに血豆みたいに赤黒く、輪郭も曖昧でぶよぶよしていた。
 きっと今宵の満月も、地球からはあの夜と同じように見えていることだろう。
 月の片隅で、こうして月穿虫を駆除しているとき、ぼくはいつも地球に居たころを思い出す。
「この時期になると月面では月穿虫が一斉に孵化するんだ。月のはらわたを食い破ってね。それで月がこんなに赤黒くなるんだよ」
 ぶつぶつと今さらひとり解説してみたって、地球には届きっこない。が、これはもう習慣みたいなものだ。
 任期を終えるまで、ぼくは地球に戻れない。月を棲家とし、月の蚕食を防ぐのが今のぼくは生業だ。
「そうそう、やっぱり月にウサギは居なかったよ」
 月穿虫どもを一通り叩き潰したあとで呟くお決まりの独り言。これもまた毎日の習慣。
「さすがに知ってたよ、それぐらい」
 そして、こうして幻聴が答えてくれるまでがワンセットだ。